≪花園神社の由緒≫ 「花園神社しおり」(昭和58年6月、花園神社社務所発行)より
■花園神社の創立は、約1200年前の昔、延暦14乙亥年年(795年)、征夷大将軍「坂上田村磨」が奥州下向の折に、
草創された神社です。
■大同2年(807年)4月、花園山と号づけ勅額が掲げられた。天長年中(824年〜834年)釈円仁(慈覚大師)が東国に
頭陀のお り、当山にて修行、定観2年(860年)に天台宗満願寺を再興した。
明治初年、神仏分離で満願寺が廃止になるまで神仏混淆の寺社であった。
■前九年の役(1051年)源頼家、八幡太郎義家が安部貞任・宗任を追討のため奥州に向かう際、社参し請願書を納めた。
後三年の役(1083年)に勝利し上洛のとき、山王幡と源氏の白旗二旒を神社に納めた。
■徳川幕府も非常な信仰を現わし、慶長七年(1602年)、家康の社頭領五十石の御朱印を寄進されたのをはじめ、代々
将軍 の代わるごとに御朱印書が寄せられた。
■当神社は、大北川沿流十ヶ村の総社と称され信仰を集めた。 |