石楠花に包まれる「拝殿」
茨城百景・観光百選

「花園神社」

花園神社の境内(05/05/05)
鎮座地:北茨城市華川町花園567
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≪花園神社の由緒≫ 「花園神社しおり」(昭和58年6月、花園神社社務所発行)より
■花園神社の創立は、約1200年前の昔、延暦14乙亥年年(795年)、征夷大将軍「坂上田村磨」が奥州下向の折に、
  草創された神社です。
■大同2年(807年)4月、花園山と号づけ勅額が掲げられた。天長年中(824年〜834年)釈円仁(慈覚大師)が東国に
  頭陀のお り、当山にて修行、定観2年(860年)に天台宗満願寺を再興した。
  明治初年、神仏分離で満願寺が廃止になるまで神仏混淆の寺社であった。
■前九年の役(1051年)源頼家、八幡太郎義家が安部貞任・宗任を追討のため奥州に向かう際、社参し請願書を納めた。
  後三年の役(1083年)に勝利し上洛のとき、山王幡と源氏の白旗二旒を神社に納めた。
■徳川幕府も非常な信仰を現わし、慶長七年(1602年)、家康の社頭領五十石の御朱印を寄進されたのをはじめ、代々
  将軍 の代わるごとに御朱印書が寄せられた。
■当神社は、大北川沿流十ヶ村の総社と称され信仰を集めた。 

コンクリート石造りの神橋

春日造りの「楼門」(1792年建替)

権現造りの「拝殿」(1851年建替)

権現造りの「御本殿」(1832年造営)

手水舎奥のこぶ杉)

御本殿の前の狛犬(左側)

御本殿に彫られる「三猿」

御朱印と案内パンフレット
≪花園神社、神域の大観≫
■数百年の老樹・巨木がうっそうと茂って境内全域を覆い、前面には清涼な花園川の渓流が流れる。
■神橋を渡り春日造り石鳥居をくぐると、山王大権現の勅額を掲げた大楼仁王門がそびえたち、両側に石の仁王像が控える。
  神楽殿の脇、拝殿後方の急な石段を登りつめ本殿となる。
■立ち並ぶ老杉は、樹高60メートルに達するものを始め巨木数百本。「こぶ杉」と呼ばれる奇木もある。
■拝殿広前両側にある、「コウヤマキ」は、幾条もの大枝が地に低く垂れ茂る。周囲4.4m、樹高30m、樹齢600年
  を超える。槙としては、県下第一で全国にも稀なものであり、古来より「天狗槙」とよばれている。
■拝殿の左50mのところにある「大杉」は、周囲7.5m、樹高45m、樹齢500年を数える「花園神社の神木」である。
  地上10mのところより3本に分かれているので、通称「三本杉」とよばれている。
■昭和35年、「花園の高野槙」「花園の大杉」として、県の天然記念物に指定された。

大楼仁王門の石の仁王(右側)

大楼仁王門の石の仁王(左側)

天狗槙(後ろは拝殿)

三本杉(花園の大杉)
≪花園のささら≫
■花園神社の例祭(毎年5月5日)で、笛・太鼓とともに演じる「獅子舞」であり、北茨城市文化財に指定されている。
■8歳から13歳くらいまでの男児が演じる角2本の親獅子・寄獅子、角1本の牝獅子からなる、優雅にして野趣に
  富む、古い型 を伝える。その縁起は古く、前九年・後三年の役のおり、源頼義・義家父子が戦勝祈願のため
  奉納したのが始まりといわれている。
■現在使われている獅子頭は、江戸時代末期の作といわれている。


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■関連サイト
  北茨城市         北茨城市観光協会
  北茨城市商工会    茨城県林業技術センター


   

神社に奉納されるササラ

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    作成者:柴田(北茨城市在住)
      花園ガイドグループの一員です。

          2023/08/23一部訂正
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